「鎮静(セデーション)」を完全に否定しているわけではない。勤務医時代、得意としていたERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影)検査、それ伴う乳頭切開術や内瘻術など、これはしんどいに決まっている。こちらからセデーションをかけさせて頂くことを術前に了解得ることをルーチンにしていた。上部や下部の内視鏡検査でも患者さんの状態(すごくナーバスな方や子供、認知症のある方、知的発達障害のある方など十分な説明を持っても協力的に検査を受けていただけない方)には、こちらから事前に保護者などを交え話し合いセデーションをかけさせてもらっている。
保険診療において正規の決まり事では、通常の内視鏡検査に鎮静剤を使うことを前提として許すとの文言はない。使うに当たっては、要件があるのである。グレーゾーンなところもあるが、むやみやたらと使うことはルールからの逸脱である。そこで生じた不都合の責任を「お上」は取ってくれない(今どきの言葉でいう「自己責任」である。といっても事故が起こって本当の意味での責任が取れる人はいない)。
ただ、検査者の都合(患者さんが色々文句を言ってこない方が検査するほうも楽である)と患者さんの希望(眠っているうちに検査してください)で利害の一致をみることから、結構大型病院などではルーチン化された感があるのがセデーションである。まぁ、大型病院には、スタッフが多い(医師も看護師も、そうそう麻酔蘇生科のスペシャリストを呼ぶこともできる)ので、検査中患者さんの血圧が落ちたり呼吸が止まったりしても怖くないのかもしれない。
でも、「一般の上部内視鏡や下部内視鏡」ってそんなに大仰なものなのか?であり、患者さんのリアクション(不快だの痛いだの)をバロメーターとして内視鏡を操作し、その練度を高めてきた自分としては、セデーションありきで育ってきている後進の医師たちの内視鏡医としての将来を危惧するのである。
(つづく)
2017-06-09 19:45:00
院長、セデーションについて語る