院長、セデーションについて語る
院長、セデーションについて語る
日常診療,患者,祖語
以前、麻薬を売りたい(?)製薬会社が、「患者さんは我慢しなくていいんです」を標語にテレビなどで宣伝を打っていたが、最近は聞かない。薬屋に言われんでも「癌性疼痛」に苦しむ患者さんを何とかしたいのは医師の心情だ。ただ実際には、「なんでもかんでもといかない」ところがつらいのだ。人の子である医師は、当然心の中で担当している患者さんの苦悩に心を痛めている(PTSDを抱える医師も多いと思う)。
昨今、頑張ることがあたかも無能な行為であるかのごとき風潮もあるが、「子供を産むのは大変なこと」である。その「生みの苦しみ」から学ぶこと、育まれる感情もあることを忘れてはならない。
医師は、目先の利益より総体としての利益を患者に提示しなければいけない。時には、厳しく患者さんを指導しなくてはいけない。時には嫌われるのも医師の仕事である。
「内視鏡もしています」のスタンスで仕事はしていない。「内視鏡をするべく」開業したのである。勤務医のころの印象は、もっとしっかり市井で内視鏡検査をしてもらっていれば…と思ったからである。
ただ、内視鏡検査が「万能である」と言っているのではないし、診断は「総合的になされる」ものであることは言うまでもない。
(つづく)
2017-06-13 19:39:00
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安全かつルーチンにて不都合の無い行為なら、まずは保険診療の中でその適応を謳い、マニュアル化することを望む。「内視鏡検査にセデーションは、保険適応あり」と。まぁ、術後患者さんが、ボーっとしたまま自家用車に乗って帰られる途中、事故にあわれるとかほかにも心配事は多々残るのではあるが。
医療行為は、もともと合法的な傷害行為である。リスクを伴うのは当たり前ではあるのだ。リスクを持っても得られる利益が大きい場合、正当化されるのが医療行為である。5分10分の検査に「眠っている間に」が、正当なのかは疑問の残るところである(途轍もなく内視鏡操作が下手な先生もいるので、その場合はアリなのか?)。当院では、セデーションを極力使わなくても了解できる範囲での負担(しんどさ)で検査を行うことを理念としている(患者さんは、しっかりとした頭で術後の説明も聞けるし、安心して自家用車で帰られる)。過去の検査状況の聞き取り結果やその患者さんの特性によっては、こちらから「セデーションをかけることをお願いすることもある」のスタンスである。「患者さんの希望によってはセデーションをかけます」をうたい文句とした医療機関もあるようだが、それって「医師としての責任」を放棄してない?と思ってしまうのは自分がへそ曲がりなのだろうか(笑)
(つづく)
2017-06-12 19:55:00
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「鎮静(セデーション)」を完全に否定しているわけではない。勤務医時代、得意としていたERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影)検査、それ伴う乳頭切開術や内瘻術など、これはしんどいに決まっている。こちらからセデーションをかけさせて頂くことを術前に了解得ることをルーチンにしていた。上部や下部の内視鏡検査でも患者さんの状態(すごくナーバスな方や子供、認知症のある方、知的発達障害のある方など十分な説明を持っても協力的に検査を受けていただけない方)には、こちらから事前に保護者などを交え話し合いセデーションをかけさせてもらっている。
保険診療において正規の決まり事では、通常の内視鏡検査に鎮静剤を使うことを前提として許すとの文言はない。使うに当たっては、要件があるのである。グレーゾーンなところもあるが、むやみやたらと使うことはルールからの逸脱である。そこで生じた不都合の責任を「お上」は取ってくれない(今どきの言葉でいう「自己責任」である。といっても事故が起こって本当の意味での責任が取れる人はいない)。
ただ、検査者の都合(患者さんが色々文句を言ってこない方が検査するほうも楽である)と患者さんの希望(眠っているうちに検査してください)で利害の一致をみることから、結構大型病院などではルーチン化された感があるのがセデーションである。まぁ、大型病院には、スタッフが多い(医師も看護師も、そうそう麻酔蘇生科のスペシャリストを呼ぶこともできる)ので、検査中患者さんの血圧が落ちたり呼吸が止まったりしても怖くないのかもしれない。
でも、「一般の上部内視鏡や下部内視鏡」ってそんなに大仰なものなのか?であり、患者さんのリアクション(不快だの痛いだの)をバロメーターとして内視鏡を操作し、その練度を高めてきた自分としては、セデーションありきで育ってきている後進の医師たちの内視鏡医としての将来を危惧するのである。
(つづく)
2017-06-09 19:45:00
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消化管内視鏡検査は、もともと外科処置の様に大がかり(麻酔を必要とするなど)にならないことが利点であったはずだ。そもそも、一般的な上部(食道~胃~十二指腸)内視鏡検査では痛いはずもなく、ただただ吐き気などの不快があるだけだ。100%ではないまでも前処置や内視鏡操作に工夫をすれば、ほぼすべての方は検査を普通に受けられる(自身が検査を施行しての範囲では、「しんどかった」と感想を述べられる方はあっても検査が不成立になるほどの事例はまずない)。下部内視鏡検査の場合はどうであろう。確かに「痛みが出うる検査」である。ただ、内視鏡検査医の立場からは、患者さんが持つ「不快だ」・「痛い」だの反応が、検査を安全に行ううえでのモニターとなっているのは間違いない。デリケートな消化管をどこまで押したり引いたりできるかのバロメーターである。
下部消化管の内視鏡の挿入のしやすさは多彩である。痛みをほぼ感じさせることなく挿入できる症例から要所・要所(腸管が大きくたわんでいたりする部位)でしばし痛みに耐えてもらわなければいけない症例までさまざまである。ただ、自分の経験では、検査が不成立になるほどの症例は、1000人に3人くらいである(年間400例ぐらい下部内視鏡検査をしていた勤務医時代に三年間統計を取ってみた結果)。
(つづく)
2017-06-08 19:47:00
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無痛分娩とか小児治療におけるセデーションでの不都合な話をしばしば耳にする。薬の効きすぎによる医療事故である。母子や患者である小児に降りかかる死亡事故や重大な後遺症の発生を新聞やテレビのニュースで聞くことが多い。
患者さんのいうところの「麻酔」はいわゆる「鎮静」を含むので純粋にイコールではないが、ここでは長くなるのでそれには触れまい。
内視鏡医を専門にしていると、「眠っている間に」とか「痛くないように」とかのオーダーを、のっけから宣言される方に最近結構遭遇する。
あぁこの人は、「意識すること」なく「重大な不都合(医療事故)」に遭遇することも厭わない方なんだなぁと感心する。
不快・痛みなどは、人間が生きていくうえで備えたアラームである。もし足がもげても痛くなければ、足の骨が折れていたとしても歩き続けるであろう。場合によっては本当に足が腐ってもげてしまうかもしれない。
子供のころ、だれでも歯科治療は嫌なものの代表であったはず。「眠っている間に」とか「痛くないように」歯を抜いてくださいというオーダーを歯科の先生は受けることがあるのであろうか?興味深いところだ。
ある程度歯科治療を受ける機会が続くと、そのうち「歯を削ったり抜いたりするのは痛いものだ」と学習する。最近は、歯を削るだけでも歯茎に注射で局所麻酔をされる歯科医がいらっしゃるが、自分としては、その注射のほうが不快なので「何もせんでよいから、一気に削って」と思ってしまう(笑)
(つづく)
2017-06-07 19:32:00
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添付資料を見てください。
これは、以前いただいた(この病院に内視鏡検を必要として患者さんを紹介する場合の資料として)某公立病院の内視鏡(セデーション)に関する承諾書です。
これとは別に内視鏡を受けるにあたっての一般的な承諾書を取った上で、患者さんからセデーションの依頼があった場合この承諾書を更に取られるのだそうです。
参考にする統計の年度によっても数字は、変わりますが、内視鏡時に、セデーションしない場合とする場合の合併症の発生数が7倍になることをうたっておられます。もっとも、そもそもの合併症の発生率が小さなものですから、ここをことさらに強調することが重要なのかという疑問もありますが、この公立病院としてのスタンスは、基本セデーションはしないというスタンスが読み取れます。
合併症率に着目するということはもちろん重要なことですが、私が良い着眼点と思うのは、むしろ術後のトラブルのほうです。セデーションのもと内視鏡検査を受け自分で車を運転して帰られた患者さんが、実際交通事故を起こされた事例はままあります。
では保険診療において、どういったセデーションの扱われ方がよいのでしょう?
私は、次のように考えます。
①過去に問題なく内視鏡検査を受けられたことがある方(多少はしんどかったが、了解内だった人を含む)は、セデーションの必要はありません。
②過去にどうにもならないくらいしんどかった。検査が成立しなかったという場合。そのときの状況を良く聞き、セデーションをすぐに使うのではなく、やり方の改善で対処できないか(口からの内視鏡でコントロールできないくらい嘔吐反射が続いたなどでは、経鼻内視鏡を考慮するなど)工夫する。
③医師の立場からもセデーション無しでは無理であろうと判断した場合、(②においても無理と判断される症例や認知症患者や知的発達障害のあるかたなど、じっとして検査が受けることが困難でかつ内視鏡検査がどうしても必要な症例。他には、大がかりな内視鏡手術などが目的の場合)は、事前の十分な説明に基づく患者さんの了解のもと、救命用具ならびに救急薬品の準備をし、検査中の呼吸状態などモニタリングのうえ、セデーションをかけさせていただく(基本保険診療で容認されるジアゼパムを使う)。そして検査後について、十分な指導(セデーションの効果がしばらく残るので、運転などは禁止)を行う。
④初めての方は、十分な説明のうえ、丁寧かつ愛護的な内視鏡操作につとめセデーションを原則使わないで行うです。
(おわり)
2014-04-21 08:20:00
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日本消化器内視鏡学会の内視鏡診療における鎮静に関するガイドラインに、「消化器内視鏡の偶発症に関する第五回全国調査報告-2003年より2007年までの五年間」の結果が載っています。前処置(セデーションも含む)に関連した偶発症(予期せぬ合併症)数は466例で、そのうちの35.8%に当たる167例がセデーションによるものであり、その発生頻度は0.0013%(1万人13人)だそうです。
また、それぞれの死亡数は全体で11例、うち27.3%にあたる3例がセデーションにかかわるもので、セデーションによる死亡は、100万人に24人すなわち0.000024%の割合だそうです。
比較として挙げますと、重篤な症状から時には死に至るペニシリンショックについては、0.015~0.004%の割合で起こるとされています(これも調査によりばらつきあり、実際の印象は、もっと少ないと思います)。
これを多いととるか少ないととるかは、真に判断が難しいです。ペニシリンに関しては、ペニシリンの投与保険適応があってのことですから偶発症の持つ意味合いも違うでしょう(救済制度の対象)。内視鏡検査の偶発症の調査は色々な形で何回も繰り返されていますが、調査機関・調査対象・調査時期および期間も色々なため、その結果も流動的です。先にあげた調査には、第一回から続いているわけで、最悪のデータを示した第二回調査では、偶発症総数で1163件(第五回の%換算で6.8倍)、うち死亡数は、129件(第五回の%換算で18倍)と大きく異なります。
ただ、問題は保険医療として妥当なのかどうかということです。「投薬の基本は、最小限のものでより効果的な結果を期待する」が原則ですし、そもそも鎮静剤に「消化器内視鏡検査および治療の前投薬」という保険適応をもった薬はありません。不要な投薬は厳に慎めであります。
偶発症のことばかり申し上げましたが補足しますと、セデーションに使われる薬の問題点とは、その薬の持つ鎮静力がもろ刃の剣であるということです。鎮静作用が強ければ、よりなにも感じずに検査を受けられる(身体にストレスが加わらなくなるのではなくそれを感じなくなるだけです)わけですが、呼吸停止など合併症のリスクなどが生じるのみならず、その検査中ならびにその後の記憶の曖昧・逆行性健忘・判断力低下などが生じることにも着目すべきです。検査結果をちゃんと理解せず帰られることもありますし、検査後しばらく時間をおいたので大丈夫であろうと患者さんが自動車の運転をされ、その結果事故を起こしたという報告もあります。お酒と一緒で患者さんがいわばいい気持になっているわけで「おれは、大丈夫」といった感覚で運転をされてしまったようです(お酒の残り方に個人差があるように鎮静剤の効き方もそれぞれです)。
(つづく)
2014-04-09 08:31:00
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セデーションは、患者さんが痛みを訴えにくい状況に置くので(基本、朦朧とした状態であり、痛みに鈍感になっており、それ相応の刺激が加わっていても購えない状態である。)、その良いバロメーターを無効にしてしまう懸念もあるのです。また、鎮静剤の性質として逆行性健忘があります。従って何が起こったか覚えていないだけという場合もあります。
熟練した術者であれば、急患で意識レベルの下がった患者さんなどの検査治療の経験が十分にあるので、患者さんの訴えのみならず内視鏡操作で手元に返ってくる微妙な反動・反発力などで、どの程度腸管に圧力(ストレス)をかけているかわかりますし、これ以上かけられないかはわかるものですが、それでも絶対感覚というものではありません。ましてや、いつも患者さんのリアクションが少ない状況(セデーションをかけた状態)でしか、内視鏡検査をしたことがない術者がいるとすれば、力加減を誤りかねない(腸管に傷をつけてしまう)可能性も危惧されます。
では、どういった環境・条件でのセデーション(鎮静・鎮痛)が良いのでしょうか。 前提条件として、保険診療での場合で考えます。基本的に混合診療は認められていないので、セデーション費用のみ自腹でよろしく、あとは保険でお願いはありません。
まるでルーチンのごとくセデーションをかけられている医療機関がその薬のコストをどう処理されているのかわかりませんが、当方では、症例を選び請求にあたって理由を説明していますので保険診療内に収まっています。 まずは、セデーションが内視鏡関連全検査・治療において必要かといえば、私の経験上は否です。どうしても必要な方がいるのは間違いないのですが多数ではありません。
症例を選んで、かつ医師と患者さんあるいは保護者の方との間でのインフォームドコンセントありきでのセデーションは実際の現場では当然あることです。
さて、保険診療という観点から、セデーションに使われている薬に本来保険適応がないという問題を中心に話しましたが、セデーションが時代とともに広まりつつある医療の現場で具体的にどんな問題があるのかを中心に次回お話しましょう。
(つづく)
2014-03-31 12:40:00
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最近では、内視鏡検査は当院でといったリピーターもいらっしゃいます。セデーションに関しては、当方が過去検査を施行してもしんどかった方(不安緊張が強く、そのまま我慢してもらって検査をすると検査の質が下がってしまう)や先にも説明しました検査自体を了解出来ない方(認知症など)に関して、こちらからセデーションをかけさせてほしい旨を本人もしくは保護者の方に説明と了解をいただいて行っております。ただ、その数は、やはり年間上部・下部合わせて数例です。
一般に評判の悪い経口内視鏡の場合であっても、咽頭への麻酔をきっちりかけ、丁寧なカメラ操作で多くの場合は検査が十分な状態(患者さんの立場的にも)で成立するものですが、どうやっても咽頭反射が激しすぎて安定した観察ができない人がいるのは事実です。強い吐き気で空嘔吐をして胃が上へ下へと暴れますと、観察の質を上げることが出来ないうえ(体動が大きいときっちり観察できない)、のどや食道・胃・十二指腸への損傷も起きかねませんから、その方たちへのセデーションは、ありだといえます。
あるいは、経鼻内視鏡という選択があります。画質の面で私はファーストチョイスにはしていませんが、多くの内視鏡販売営業担当者の宣伝文句をかりれば「セデーションはいらない」です(鼻の孔の狭い人などは、挿入不能のことがありますし、稀には経鼻内視鏡でも吐き気が止まらない人もいますが)。
これに対し、下部内視鏡の風評を落とす基本理由は痛みです。しかしながら上部内視鏡で吐き気を我慢させられるという悪評より頻度が低く、内視鏡操作がていねいであれば、本来大きな痛みはないはずです。腹部手術後の癒着があるとか、腸管の走行具合、たわみや曲りくねり方、周囲との固定の緩さなど、その方の腸管特有の状況にて内視鏡をうまく操れない場合は、痛みが生じます。それは、ストッキングを履くとき、力任せに足を押し込んでもストッキングが伸びるだけで足は入っていかないのと同じで、腸管も内視鏡で手繰るようにして入れていきます。その操作がしづらい形の腸管では、腸管を押し延ばす形になり痛みが生じます(本来腸管の内面は鈍感です。大きく引っ張られるとか、ひねられる時に痛みが生じます)。
ただ、つけ加えますと患者さんの痛みの程度(感じ方に個人差があり必ずしも受けた刺激の程度に一致しないのも事実ですが)は、内視鏡をしている医師にとっては安全のバロメーターになっているのも事実です(痛がっている患者さんを無視し続けて検査することは不可能)。
(つづく)
2014-03-12 16:05:54
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当院では、2008年5月に開業しての11か月に内視鏡を行った件数は、207件(上部内視鏡:150件,下部内視鏡:57件)でした。周りは田んぼに囲まれ医院の建物は民家風(目立たない!)、近くの病院を退職してそのまま地盤を継いでの開業ではないので、認知度も低かったのですが、口コミでそれなりに検査を受けられる患者さんがいらっしゃいました。
私のところでは、上部および下部内視鏡検査合わせても年間数人しかセデーションをかけることはありません。しかしながら、上部内視鏡検査で検査不成立ということは、基本ありません。同じく下部内視鏡検査でも患者さん側がしんどくて受けられないという理由で全大腸検査が成立しない(挿入途中で中止となる)ことは、数年に一例程度しかありません。もちろんとても楽だったという方は限られるのかもしれませんが、それなりにしんどいけど許容できる程度であったという方がほとんどであり、(噂で)思っていたよりしんどくなかったという方もいらっしゃいます。もう金輪際受けたくないという方は極少数派です。
統計学的に有意差を検討はしていませんが、当院での内視鏡検査件数は、2009年度は343件(上部:246件,下部:97件)であり、2010年度は、413件(上部:290件,下部:123件)で、2011年度は、467件(上部:328件,下部:139件)です。そして、2012年度は若干減って、440件(上部:300件,下部:140件)ですが、2013年度は2014年1月末時点ですでに465件(上部:349件,下部:116件)で前年度を上回っております。
以前何かで読んだのですが、良いうわさ(話)は、7倍拡がる力をもつのに対し悪いうわさ(話)は、30倍拡がる力を持つのだそうです。
この理論でいけば、単純計算ですが、「内視鏡がしんどかった(これを他人に伝える)」に対し「楽(了解できる範囲)だった(これを他人に伝える)」人数が、30÷7で4.3倍いなければ、内視鏡検査を受ける人はいなくなるはずです(あまりにどんぶり勘定ですが例えとして)。
(つづく)
2014-02-28 21:56:00
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