山本内科医院

内科,胃腸内科,消化器内科
〒739-0041
広島県東広島市西条町寺家3228-2
 
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院長の独り言

承認欲求の強い人

自分のシナリオを押し通そうとする人(こう言ってほしい・こう診断してほしい)

ネットなどで聞きかじった知識で挑戦(マウンティング)してくる人

真実は、人の数ほどあっても構いませんが、事実は一つです

私は、心なく表面上同調することを良しとしません
器質的疾患に向き合う場合は、同調ではなく同意でなければいけません
その場限りの同調は、必ず治療の妨げとなり破綻します
(事実としてそこにある病変を、オブラートにくるんでも結局良い結果になりません。患者に寄り添うのと迎合するは、別物です。その場取り繕っても、結局あなたの利益にはなりません)

医学は、事実と向き合う学問です

特に、私が扱う「器質的疾患」は、気持ちではどうにもならない病変です
(精神の安寧を求めるなら、専門家であるその筋の先生に相談してください。力のある先生なら、器質的疾患を疑う場合逆紹介してきます)

診察は、あなたが受付と話したり何気に待合室で振舞ったりすることを感じることから始まります。診察室のドアをあけ椅子に座るまで(その後も含め)の所作・振る舞いも全てです

私は、私が考えるに不要な検査(得意とするそれであっても)・無駄な投薬を好みません
(逆に必要なら、患者さんにその意義が分からなくとも説明し理解してもらい実行します)

当然、治るまでの時間の長短はあれど自然に治るものに強いお薬は出しません

独り言です

2022-02-24 08:48:00

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恐ろしい時代

インターネットにはらむ闇…以前から私は、投稿サイトなどで誹謗中傷合戦が繰り広げられ、どこが作ったかわからない情報サイトでの、出所や裏付け不明な情報が飛び交い、結果それに翻弄されている人たちがいることを非常に危惧しています。

 ホームページを上げていると、いつの間にか断りもなくリンクされます。病院検索サイトなるものへも勝手に当院の情報を載せられるのです。そのうえ、勝手にランキング付けされたり評価されるのです。

 特に困るのが、「何々を診ている」とか「何々している」病院とかで勝手に取り上げられたりすることです。それらのサイト運営者から当方への断りはありません。誤情報も垂れ流しです。例えば添付のインターネット検索画面を見てください。頼みもしないのにホームページ内の記事を抜き出したり、表題をつけたりしています!

 「山本内科医院,内視鏡,透視検査,ペプシノーゲン,便潜血検…」これでは、透視検査・ペプシノーゲン検査をしているように見えます。当院では、胃透視(バリウムの検査)はしていません。ペプシノーゲン検査も実費で行おうと思えばできますが積極的には勧めてはいません。

 以前も、ある初診の患者さんが、あまりに当院の診療内容と違う診察を希望され来院されました。患者さんに聞くと「〇〇」のキーワードで当院が検索に引っ掛かってきたというのです。その方のスマートフォンで見せてもらったら、確かに当院が上がってくるのですが全く心当たりはありません。びっくりしました。ネット情報で過度にご自身の病気に不安を持たれる方もいらっしゃいます。新聞やテレビ、週刊誌などでも怪しい情報が飛び交う昨今、情報に踊らされないようする目をみんなが持たないといけない時代です。医療情報は、厚生労働省や地方自治体の保健福祉関係などのページ、公的研究機関・医療機関ならびに学会などが運営するサイトを見られることをお勧めします。

2017-08-02 14:20:00

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内視鏡検査予約の件(2)

(その①から続く)ただ、自分の経験からすると「ちょっとそれは少なくない?」という印象です。消化器内科医であって消化器内視鏡専門医(を目指している)である医師は、最初の10年程度(10年くらい専念すればほぼ一人前として)は、その数倍の検査をこなしているのが普通に思うからです。かくいう私も開業前、多い年は胃内視鏡検査だけで年間約800件程度、大腸他の内視鏡検査を合わせれば年間約1,400件程度行った時期もあります。各方面へのいろんな遠慮・配慮(?)があるのかもしれませんが、消化器内視鏡専門医は皆、一人前になるまでたくさんの症例を経験してきているのです。その価値を軽く見られているようで「7年以上の実務、1,000件以上の実績」には少し抵抗を感じました。
尚、広島市内の某県立病院さんは、消化器内視鏡検査施行可能な医師14人を擁して平成28年度の胃内視鏡検査数は4,647件(検査医均等に施行しているとすれば、一人当たり331人です)。市井の初期検査治療医と専門科を擁する大型病院の医師が診る対象の患者さんは異なりますので、一件一件に要する手間も違うでしょうが、大型病院では検査装置を複数持ち流れ作業ができ、また検査医は検査担当日、外来診察を外れるなど数をこなすには良い環境にあるといえるでしょう。だから私も勤務医時代は、たくさんの検査をこなせていたともいえます。

(おしまい)

2017-06-21 19:10:00

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内視鏡検査予約の件(1)

 昨年夏ごろから検査予約が多く最大で二か月待ちくらいになっていましたが、 ようやく追いつきました。ほぼ通常の予約ペースに戻りました。ご迷惑おかけしました。
 昨今どこでも胃内視鏡による検診(市町が実施し、市井の医療機関に委託するもの)が、手広くなりすぎ精度管理の面で不安が生じてきたため、「広島県における市町がん検診胃内視鏡検査実施に掛かる手引き(案)」なるものが、先日公開されました。そこには胃内視鏡検査に参加する検査医の条件も上げられました。
 一つの目安として診療・検診にかかわらず概ね年間100件以上の胃内視鏡検査を実施していることが要件の一つにありました(平成28年度の当方の胃内視鏡検査の実績は、403件です。平成29年6月18日現在、この地で開業して以来の胃内視鏡検査数は、2,968件です)。人口密度などの問題もあり、勤務地によってはベテランでも現在は実施件数が100件より減っている先生もいると思います。そこで次のような要件も示されています。「もし年間検査数が100件に満たない場合は、充分な実績があること。それは、胃内視鏡検査の実施経験が通算1,000件以上あり、その実務に7年以上携わっていること」だそうです。一年に約140件程度の検査を7年行った経験があるというものです。  

(つづく)

2017-06-20 19:55:00

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不都合な話(5)

 以前、麻薬を売りたい(?)製薬会社が、「患者さんは我慢しなくていいんです」を標語にテレビなどで宣伝を打っていたが、最近は聞かない。薬屋に言われんでも「癌性疼痛」に苦しむ患者さんを何とかしたいのは医師の心情だ。ただ実際には、「なんでもかんでもといかない」ところがつらいのだ。人の子である医師は、当然心の中で担当している患者さんの苦悩に心を痛めている(PTSDを抱える医師も多いと思う)。
 昨今、頑張ることがあたかも無能な行為であるかのごとき風潮もあるが、「子供を産むのは大変なこと」である。その「生みの苦しみ」から学ぶこと、育まれる感情もあることを忘れてはならない。
 医師は、目先の利益より総体としての利益を患者に提示しなければいけない。時には、厳しく患者さんを指導しなくてはいけない。時には嫌われるのも医師の仕事である。
 「内視鏡もしています」のスタンスで仕事はしていない。「内視鏡をするべく」開業したのである。勤務医のころの印象は、もっとしっかり市井で内視鏡検査をしてもらっていれば…と思ったからである。
 ただ、内視鏡検査が「万能である」と言っているのではないし、診断は「総合的になされる」ものであることは言うまでもない。
 

(つづく)

2017-06-13 19:39:00

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不都合な話(4)

 安全かつルーチンにて不都合の無い行為なら、まずは保険診療の中でその適応を謳い、マニュアル化することを望む。「内視鏡検査にセデーションは、保険適応あり」と。まぁ、術後患者さんが、ボーっとしたまま自家用車に乗って帰られる途中、事故にあわれるとかほかにも心配事は多々残るのではあるが。
 医療行為は、もともと合法的な傷害行為である。リスクを伴うのは当たり前ではあるのだ。リスクを持っても得られる利益が大きい場合、正当化されるのが医療行為である。5分10分の検査に「眠っている間に」が、正当なのかは疑問の残るところである(途轍もなく内視鏡操作が下手な先生もいるので、その場合はアリなのか?)。当院では、セデーションを極力使わなくても了解できる範囲での負担(しんどさ)で検査を行うことを理念としている(患者さんは、しっかりとした頭で術後の説明も聞けるし、安心して自家用車で帰られる)。過去の検査状況の聞き取り結果やその患者さんの特性によっては、こちらから「セデーションをかけることをお願いすることもある」のスタンスである。「患者さんの希望によってはセデーションをかけます」をうたい文句とした医療機関もあるようだが、それって「医師としての責任」を放棄してない?と思ってしまうのは自分がへそ曲がりなのだろうか(笑)
 

(つづく)

2017-06-12 19:55:00

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不都合な話(3)

 「鎮静(セデーション)」を完全に否定しているわけではない。勤務医時代、得意としていたERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影)検査、それ伴う乳頭切開術や内瘻術など、これはしんどいに決まっている。こちらからセデーションをかけさせて頂くことを術前に了解得ることをルーチンにしていた。上部や下部の内視鏡検査でも患者さんの状態(すごくナーバスな方や子供、認知症のある方、知的発達障害のある方など十分な説明を持っても協力的に検査を受けていただけない方)には、こちらから事前に保護者などを交え話し合いセデーションをかけさせてもらっている。
 保険診療において正規の決まり事では、通常の内視鏡検査に鎮静剤を使うことを前提として許すとの文言はない。使うに当たっては、要件があるのである。グレーゾーンなところもあるが、むやみやたらと使うことはルールからの逸脱である。そこで生じた不都合の責任を「お上」は取ってくれない(今どきの言葉でいう「自己責任」である。といっても事故が起こって本当の意味での責任が取れる人はいない)。
 ただ、検査者の都合(患者さんが色々文句を言ってこない方が検査するほうも楽である)と患者さんの希望(眠っているうちに検査してください)で利害の一致をみることから、結構大型病院などではルーチン化された感があるのがセデーションである。まぁ、大型病院には、スタッフが多い(医師も看護師も、そうそう麻酔蘇生科のスペシャリストを呼ぶこともできる)ので、検査中患者さんの血圧が落ちたり呼吸が止まったりしても怖くないのかもしれない。
 でも、「一般の上部内視鏡や下部内視鏡」ってそんなに大仰なものなのか?であり、患者さんのリアクション(不快だの痛いだの)をバロメーターとして内視鏡を操作し、その練度を高めてきた自分としては、セデーションありきで育ってきている後進の医師たちの内視鏡医としての将来を危惧するのである。
 

(つづく)

2017-06-09 19:45:00

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不都合な話(2)

 消化管内視鏡検査は、もともと外科処置の様に大がかり(麻酔を必要とするなど)にならないことが利点であったはずだ。そもそも、一般的な上部(食道~胃~十二指腸)内視鏡検査では痛いはずもなく、ただただ吐き気などの不快があるだけだ。100%ではないまでも前処置や内視鏡操作に工夫をすれば、ほぼすべての方は検査を普通に受けられる(自身が検査を施行しての範囲では、「しんどかった」と感想を述べられる方はあっても検査が不成立になるほどの事例はまずない)。下部内視鏡検査の場合はどうであろう。確かに「痛みが出うる検査」である。ただ、内視鏡検査医の立場からは、患者さんが持つ「不快だ」・「痛い」だの反応が、検査を安全に行ううえでのモニターとなっているのは間違いない。デリケートな消化管をどこまで押したり引いたりできるかのバロメーターである。
 下部消化管の内視鏡の挿入のしやすさは多彩である。痛みをほぼ感じさせることなく挿入できる症例から要所・要所(腸管が大きくたわんでいたりする部位)でしばし痛みに耐えてもらわなければいけない症例までさまざまである。ただ、自分の経験では、検査が不成立になるほどの症例は、1000人に3人くらいである(年間400例ぐらい下部内視鏡検査をしていた勤務医時代に三年間統計を取ってみた結果)。
 

(つづく)

2017-06-08 19:47:00

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不都合な話(1)

 無痛分娩とか小児治療におけるセデーションでの不都合な話をしばしば耳にする。薬の効きすぎによる医療事故である。母子や患者である小児に降りかかる死亡事故や重大な後遺症の発生を新聞やテレビのニュースで聞くことが多い。
 患者さんのいうところの「麻酔」はいわゆる「鎮静」を含むので純粋にイコールではないが、ここでは長くなるのでそれには触れまい。
 内視鏡医を専門にしていると、「眠っている間に」とか「痛くないように」とかのオーダーを、のっけから宣言される方に最近結構遭遇する。
 あぁこの人は、「意識すること」なく「重大な不都合(医療事故)」に遭遇することも厭わない方なんだなぁと感心する。
 不快・痛みなどは、人間が生きていくうえで備えたアラームである。もし足がもげても痛くなければ、足の骨が折れていたとしても歩き続けるであろう。場合によっては本当に足が腐ってもげてしまうかもしれない。
 子供のころ、だれでも歯科治療は嫌なものの代表であったはず。「眠っている間に」とか「痛くないように」歯を抜いてくださいというオーダーを歯科の先生は受けることがあるのであろうか?興味深いところだ。
 ある程度歯科治療を受ける機会が続くと、そのうち「歯を削ったり抜いたりするのは痛いものだ」と学習する。最近は、歯を削るだけでも歯茎に注射で局所麻酔をされる歯科医がいらっしゃるが、自分としては、その注射のほうが不快なので「何もせんでよいから、一気に削って」と思ってしまう(笑)
 

(つづく)

2017-06-07 19:32:00

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診察します(3)

 「医療機関へのフリーアクセス」…「皆国民保険医療制度」と共に日本の医療が世界で優れている点です。
 「どこでも同じサービス」は、一見耳触りが良い言葉ですが、言いかえれば「選択肢はなし」です。患者さんは、性格的個性も身体的個性も違いますし、「同じ病名」に診断されてもその顛末は人それぞれです。同じ「癌」・同じ「ステージ」に分類され、同じ「標準的治療」を受けても必ず同じ期間生存するものでもありません(ある幅をもっての傾向にはくくれますが)。
 最近では、「癌治療」は、かなり画一的でやたらと「エビデンス」が語られ「これこれこう」は「こういう治療」と全国的に共通化(マニュアルやガイドラインの制定が)されています。しかしながら、さまざまある病気の診療自体に関しては、まだまだ「医師のさじ加減」的要素が残っているように思います(「さじ加減)とは、「手玉に取る」ということではありません。知識や経験からその患者にあった「いい塩梅にする」ことです)。
 医療者は、患者の良きパイロット・サポーターであって同情者や不満のはけ口ではありません。最近の「我慢しなくてよい」とのキャッチフレーズの製薬会社のコマーシャルに代表されるよう「頑張らなくてよい」的風潮がありますが、「内にため込む」必要はないということであって「他者に丸投げする」とか「あたり散らして良い」ということではありません。
 患者を叱ってもよいが患者に怒ってはいけないと年配の医師が言っていたのを思い出します。病気とはそもそも楽しいものではありません。人が負う「生老病死」という運命にあって一生避けられるものでもありません。そこには、人生の戦いが有るわけです。時には優しく時には厳しくが診療には必要となります。
 ただ、患者との相性やタイミングの問題など有りますから、救急でもない限りフリーアクセスはあってしかるべきでしょう(ドクターショッピングせよと言っているのではありません)。
 医療は、幅を持って標準的な検査手法や治療手法があり、医師はその許される範囲内で自分の立ち位置を持っています。代替医療や高度な先進医療に関する考え方も医師によってまた違います。たまに「○○病院でやっている代替医療をここで受けたい」みたいな人もいますが、それは無理です。施設の要件もありますが、プロは自分の支持するやり方(学術的技術的拠り所)が有ります。行う診断や治療方法は自分が学び納得し経験し習得してきたものか、広く知られたマニュアルやガイドラインに従った範囲でしかできません。老舗の料理店の調理師が食材や道具・調理法にこだわり、奇をてらわないのと同じでよそがやっているから直ぐ宗旨替えということはないのです。ただ、食べに行く店を選ぶのは自由ですし、時によって違うものを食べに行くのは可能なのに似ています。

2015-07-14 21:01:00

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